日本勢がトリノで苦戦している中、やっつぁんも闘いに向けて気を溜めていた。
日中はすることがなく教えてもらったばかりのバイクマシンを漕ぎ漕ぎしていた=3=3
そして、病院で迎える初めての誕生日がきた。
準夜の看護師さんが日付がかわるのといっしょにおめでとうと祝ってくれてちょっと恥ずかし嬉しかった。
場所は病院やけど本当にみんなから祝ってもらえて貴重な誕生日になった。
もうすぐ迎える新しい誕生日にそなえてたくさんの元気をもらうことができた。
そして、いよいよ前処置が始まった!!
やっつぁんが受ける前処置の内容は
まず エンドキサン 2日間 をやって
TBI(放射線全身照射) 4日間 (計 120ガロン)
TBIの4日目のお昼に移植 という予定。
まずはエンドキサンの用意から始まる。これがまた。。。
まず最初に尿道バルーンカテーテルを挿入をしなければいけない(いまやトラウマになっている。。。)
これはエンドキサンの副作用で出血性膀胱炎になりやすいため、この病院ではその予防策として移植を受ける患者さん全員にカテーテルを使用するらしい。
要するにおしっこの管を通す。。。(ー ー ; ) 感想はご想像におまかせします。
直前までは恥ずかしがって説明を聞いていたけど
実際にその時になるとみんな真剣。
そして処置もあっというま。
さあ!エンドキサンの投与が始まった。
薬の副作用で心臓に負担がきやすいため体には心電図をつけて変化を24時間監視、点滴台にも薬を落とす量を完全自動制御された機械がとりつけられて
無色透明の抗がん剤がやっつぁんの体に入っていった。
流石!骨髄の中身をスッカラカンにする薬だけあって威力は抜群!!
昼過ぎにとうとう入院以来初めて噴き出すようにもどしてしまう。。。(_ _ |||)
胸がドキドキして不整脈を感じ、カテーテルからくる妙な残尿感、なぜか抜歯したときのような奥歯の激痛がやってきて、そして極めつけはいままでで最高の吐き気に襲われた。
2日間のエンドキサンが終了すると、尿道カテーテルはすぐにはずすことになった。。
はずすときは先生じゃなくて看護師さんやった。(お気に入りのHさんだったので(> <))
次の日から大量被爆治療こと TBI(放射線全身照射)がすぐに始まった。
エンドキサンの影響で極度の骨髄抑制が始まっているため、クリーン病棟外にある放射線科までの移動はクリーン状態が完全に保たれた保育器のような 通称猫バスと呼ばれる寝台車に乗って連れて行かれた。ちょうどオペ室に運ばれるような気分。
TBIは、でっかくてとっても高価そうな機械と見つめ合いながら体の表と裏を15分ぐらいずつ浴びることになった。
浴びた後の感想は、ポカポカ〜といった感じで特に目立った変化はなく、夜になって肌がカサカサしてきたぐらい。
お昼にやっていたR−1グランプリでは博多華丸が『アッタクチャ〜ンス!!』で見事優勝していた。自分も移植成功にアッタクチャ〜ンスしないとな!!
2日目以降もTBI中にお気に入り?のCDを聴きながらうけることができた。(やっつぁんの持っていったCD: モーツァルト100、倖田來未のベスト、ピンクレディーのベスト、ビートルズ1、ケツノポリス4 )
3日目にボスがやってきた。免疫抑制剤 ネオーラル の登場!! これから毎日9時と21時に服用。。。
実はこのネオーラル、めちゃくちゃやっつぁんと相性が悪くて飲むと、約4時間ほど胸のムカつきと吐き気と眠気、さらには全身の火照り感に襲われてしまう。
でも、移植をする際にはGVHDを抑えるための一番重要になってくる薬と言ってもいいぐらい大事な薬ww
仕方な〜く先生の言われるがまま飲んだ。
そして4日目、TBI最終日。。。つまり移植の日。
照射を終えると病室に戻って昼ごはん。食べるとすぐに、中心静脈カテーテル(IVH)の周りのイソジンによる消毒がされた。研修医の先生がキレイにていねいに殺菌消毒してくれた。
それがおわるといよいよ移植部屋へ転室。この時には姉が移植を見守りに来てくれてた。ありがたや☆
今まで何回も見学してきた完全無菌室。意外やったけどここまでの移動展開がとっても早いことに驚いた!
すぐに移植部屋に落ち着くワケじゃなくて、その前に移植前さいごのお風呂が待っていた。そのオフロは完全無菌室の部屋が並ぶ端っこにシャワールームがあって湯船はあったもののシャワー専用のだだっ広い部屋やった。
オフロを上がると自分の部屋へ初入室。
思っていたよりもいろいろ持ち込めて、市民病院のときくらい満足な間取りと居心地のよさにビックリした♪しかもテレビはタダで見放題!!スポーツ見まくれる(^^)冷蔵庫も使い放題。トイレも設置型で水洗式!なによりも開放感のあるつくりに驚かされた。
そして、無菌室用の長いルート(点滴管)や心電図を取り付けると、あらためて部屋の説明と確認を受けた。
さあ!いよいよ移植の時間が迫ってきた。
手の甲にルートをとって(これがまた痛い)
そして、末梢血からの
さい帯血移植 が始まった。。。
気付いたら外の天気もいつのまにか晴れてきて絶好の移植日和!
体の中に入ってくるさい帯血はほんとうにほんのわずかの30ml弱。
たしか20分ほどの短い時間やったけど
B型の女の子の血がやっつぁんの体の中に注がれた。
どことなーく磯の香りに包まれて海を感じた♪
移植がすべて終わる頃には日も暮れていて
その日はそのまま幸せな気持ちで眠りについた。
DAY 1
移植から一夜が明けて。。。
やっつぁんは朝の5時からテレビにかじりついていた。
この日はちょうどトリノ五輪の女子フィギュアのフリーの演技の日で、それまでメダル0個の日本勢にとっても最後のメダル期待の注目の高まった競技だった。そして見事荒川静香が金メダルに輝いて、やっつぁんの応援していた村主は4位だった。嬉しくって嬉しくって誰かにこの喜びを分かち合ってほしくてナースコールまでして看護師さんを呼んで日本勢の活躍にはしゃいだ。(後でこの件で怒られました。。。)
DAY1・3・6日目でメソトレキセートという抗がん剤が免疫抑制剤として体に入ってくる
(・ ・ ; )B型ちゃん大丈夫??
この抑制剤が吐き気をさらに増加させる。
DAY 2〜4
さっそく吐き気・貧血・ダルさに襲われ始めて、病院食をうけつけなくなった。
でもまだけっこう元気!
そんな中、完全無菌室の制限の多さに頭を悩ますことになった。
〜無菌室での一日の流れ〜
6:30頃 |
起床。真っ先にウガイをする。 |
夜中は菌の増殖期だから朝一が肝心! |
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トイレ、手洗い、洗面をすませて、2度寝する。 |
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7:30 |
朝ごはんがきて食べるかどうかを検討。。。
手洗い・ウガイ、体重を計ってから食事をする。 |
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食後に大量の薬を服用。 |
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歯磨き。 |
ハミガキコは使っちゃダメ!!
(チューブ式は使いきりじゃないので衛生面のため) |
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ファンキゾンシロップという激マズの液体で
お口の中をくちゅくちゅして飲み込む。 |
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9:00 |
9時にネオーラル(免疫抑制剤)。 |
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朝の採血。3人の先生方の回診。看護婦さんの検温。 |
怒涛の体いじられまくりタイム
↑これが8時半〜11時くらいまで |
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やっと一息。
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12:30頃
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昼食も手洗い・ウガイ・食事・薬・歯磨き・ファンギゾン。
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これを2時間くらいかけてやる
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15:00 |
昼の3時にもウガイ・薬。 |
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次の日の薬をセッティング。 |
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16:00頃
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夕方前にはシャワーor全身をタオル拭き
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この病院では月・水・金がシャワーの日で
それ以外の日は熱々のタオルで体拭きだった
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18:00
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夕食も手洗い・ウガイ・食事・薬・歯磨き・ファンギゾン。
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21:00
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9時にネオーラル(免疫抑制剤)。
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やっつぁんはのちに
⇒点滴サンディミュン⇒プログラフへと変更する
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22:00
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消灯
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パソコンで日記を更新して就寝する
そして、おやすみなさ〜い
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どんなに体調が悪くても、これだけは自分でやらないといけない。
そしてこのほかにも、常に蓄尿、病状の変化の報告が義務づけられている。小さい子供も同じことをしているので文句なんか言ってられなかった。本当ならね(^ ^;
DAY 5
白血球を上げるノイトロジン(G−CSF)の投与が始まり、ネオーラルを点滴に切り替えることになった。
心配していた下痢が始まって、夜に急激な吐き気による嘔吐。さらには前日のシャワー後に出始めた微熱が本格的な高熱になってしまった。
DAY 6〜
この日から怒涛の3・4月を迎える。
白血球の数は10となり、完全に底の世界へとやってきた。
この時期に感染症を起こすとタイヘンなことになる。。。
39℃を超える熱の乱高下の中、ただただ好中球の赤ちゃん(ノイトロジン)が芽を出すのを待っていた。脱毛もこの頃から始まって一気にツルツルクリンクリンになっていった。この時、熱や吐き気はよく出たけどもやっつぁんが恵まれてたのは口・ノド・胃腸の粘膜障害が全くと言っていいほどなかった。本当にこのことだけは後から考えても唯一の救いやった。
そのころ、ちょうど世間ではWBCが始まり王監督がイチローがJAPANをかけて戦っていた!
そんなあるとき、そうじのおじさんとの出会いがあった。
そうじのおじさん(特別編)06年3/3の日記より
(記事を出すor元に戻す)
クリーンルームにはそうじのおじさんがいる。
毎朝朝食後にやっつぁんの部屋をきれいにしに来てくれる50代くらいの寡黙なおじさん。
ある時、おじさんが使用するそうじ機の排気が本当に大丈夫なのか気になって『このそうじ機の出てくる風って大丈夫なんですか?』 とやっつぁんはやや失礼な言い方で尋ねてみた。
するとおじさんは『そんなこと気にしなくても大丈夫ですよ。ちゃんとクリーン専用になっていますからそんなに神経質にならなくてもいいですよ』と。
続けておじさんは 『それよりも大切なのは患者さんが病気を治したいと思う気持ちの方がよっぽど大切ですよ』
たしかにそれはわかってた。でも病気になってしまった患者さんにとって治療のことで神経質になってしまうのは当たり前!ついうっかり『わかっていますよ。でも!』と言ってからが元気の扉が開き始めた。
反論めいたやっつぁんの意見を聞くと、すかさずおじさんは答えを返してきて、急に喋るスピードが増して止まらなくなった!!
マジ!!こんなに喋る人やったん!? ってビックリするぐらい、そりゃあもう。。。f ^_^;
おじさんは長年医療施設において間接的に関わってきた経験と自身の海外を放浪した旅の経験やずっと信じ求め続けている宗教的な理念をいっしょに交えて、やっつぁんに気持ちの大切さを必死で伝えてきてくれた。
これにはビックリさせられた!主治医の先生方にも負けないくらいの励ましの言葉の連続!!そして熱い気持ち!今までどこに隠していたん??と聞きたくなるくらいに。おじさんの言いたいことや気持ちは凄い伝わってきた!
簡単に結論だけ言うと
ココロから『元気になりたい』と思うことによって人間の体が秘めている潜在能力はどんな薬よりも効果を発揮するものであって、信じられないような奇跡を起こす可能性をもっている。そして、おじさんは今まで何度もそれを目の当たりにして実感してきた!ということを教えてくれた。
体はすでに悲鳴をあげていたけどおじさんの励ましのおかげで気持ちの面でまた絶対に乗り越えるぞ!というやる気が再燃してきていた!!
さい帯血のだいたいの平均生着日数が3〜4週間、それに向けて頑張る気持ちでいっぱいだった。
ただ白血球はずっと底を這いずったまましばらく変化はなかった。。。
DAY 15
白血球数 40 UP
おぉ!上昇の兆しか!?
DAY 18
白血球数 100 UP!!
ようやく三桁!!
やっつぁんのWBC(白血球)が頑張っている中、テレビではWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の中継がずっと放送していた。王JAPANがアメリカ人球審による誤審のため敗戦を喫して本当に納得のいかない試合のせいでその日一日ずっと不機嫌だった。
そして、この頃から出血性膀胱炎の症状が出始めた。
トイレをしたときに最後にちょっと痛みがあると先生に言ったら、『さい帯血の場合なりやすいんだよね〜』って。そんなこと初耳!エンドキサンを入れるときにあんなに頑張って予防対策したのにこんなに簡単になるん??っていうのが感想。汗もおしっこも出にくい体になってしまって今頼れるのは点滴から落とす利尿剤だけ。。。
先生が「いつもより多めに水分を取ってくださいね」というから朝からがぶ飲みしていたら、そのまま体に貯まってしまって再び利尿剤。これ以来、毎日利尿剤。気がつけば利尿剤がやってくる。むくみと膀胱炎を防ぐために僕らのヒーロー利尿剤は今日も活躍する!
なかなかあがらない白血球にたいして不安が、そんな時に先生から後押ししてくれるアドバイスもあった。
『なかなか白血球があがってこない日が続いているけどすごく順調にきているから』
『さい帯血でもTBIをやっていれば正着不全の心配はほとんどいらないから』 とやっつぁんの不安を吹き飛ばしてくれた(^^)
この頃から採血後のデータが出ることだけを一日中、待ち続けた。
DAY 22
白血球数 190 じわっとUP!!
DAY 24
白血球数 290 またまたUP!!
DAY 25
白血球数 90 ↓↓↓↓エェェェ〜〜〜〜!!
何故か急に下がってしまった。。。
辛い治療の最中でも毎日採血結果を聞くことだけが楽しみだったのでショックだった↓↓
DAY 26
白血球数 70 ↓↓www
DAY 27
白血球数 100 UP!!
DAY 28
白血球数 60 ↓↓んnn〜!!
もう生着しててもおかしくない頃なのになじぇか下がってしまう。。。
DAY 29
白血球数 50 ↓↓。。。
この日に移植から4週間が経過したということでマルクを実施することになった。しかも細胞数が少ないことが予想されるためにより正確な胸からのマルクになった。もちろん初の胸骨マルク!腰から採るよりも100倍痛いと聞いていたので前日からかなりの緊張!実際にやってみて3倍くらい痛かった。。。
このマルクによって細胞数やDNAレベルでのさい帯血が生着しているかがはっきりする。
結果はすぐに出て、DNAの結果は女の子!ちゃんとB型ちゃんはやっつぁんの骨髄にしっかり根付いていた!大丈夫やまだまだいけるぞぉーー!!
DAY 30・31・32
白血球数 70 80 90 ヨシ!ヨシ!ヨシ!
一進一退の最中で、ずっと疑いがあった膀胱炎が徐々に牙をむき始めた。。。
トイレをした後の尿道の痛みが酷くなってきている。
原因は膀胱炎らしい。症状としては頻尿と一回の尿の少なさ、そして尿道の激痛がある。出血とまではいっていないけど、これがまた四六時中ハンパなく痛い。しかもだんだん痛みが増してきている。膀胱炎がこんなに痛いなんて知らなかった。。。
DAY 33
白血球数 50 ↓↓ OTL 。。。タマラン
本当に恥ずかしがりなさい帯血。ちょっと顔を出したらすぐにまた隠れる。いっつも振り回されている。。。ひょっとして相手にしているのは魔性の女か小悪魔!?敵よりもタチが悪いかも。
膀胱炎は着実に悪化してきておしっこに血がにじむように。。。膀胱をひっかかれるような強い痛みが襲ってくる。
そして、熱はDAY12以来毎日ずーーーっと出ていた。。。
DAY 34
白血球数 40 ↓↓orz...ドウシヨウモ。。。
DAY 35
白血球数 30 ↓↓。。。
決断の時は迫っていた。
食欲はある、気力もまだまだ!ただ膀胱炎が痛すぎる。採血結果を聞くたびに一日の長さがずーんとのしかかる。また明日も下がってたら、、、いや、明日こそ上がっているはず!また明日こそB型ちゃんは大きくなってきてくれる!ただずっと願っていた。生着することを。
ちょうど次の日で3月末ということで転院以来ずっと仲良くしてくれた研修医の女医さんが最後の日だった。気になる最後の採血結果でも白血球の値は下がっていて気まずいお別れとなった。このとき、すごく申し訳なかったことを覚えている。先生は笑って 「そのうち絶対良くなるから頑張ってね」と気持ちのいい言葉を残してくれた。その言葉を信じて必死に頑張った!
DAY 36
白血球数 50
この日マルクが予定されていた。
また胸からのマルクで慣れたもので先生との呼吸もよく、あっというま。
この日からセ・リーグも開幕!大好きな野球シーズンが始まる春!
そんな始まりの日に限って、別れの知らせはやってきた。
今日のマルクの結果が出た。
中身はスッカラカン。
結論だけ言うと
生着不全。
今後の方針も含めて先生から説明があった。
前回したマルクのDNAレベルでの結果は95%が女性のものだったこと。つまり、前回のマルクをしたときにはしっかりさい帯血が骨髄に根付いていたらしい。でもこの日のマルクではその細胞もほとんどいない状態になっていた。
一度ついたさい帯血が消えてしまった原因は、ウィルスによる仕業 と もともとさい帯血自身が持っていた生着するチカラが弱かったということの2つが考えられるらしい。どっちもが運悪く重なって今回の結果に至ってしまった。
これからまたさい帯血が生着してくるという可能性はほぼない。
B型のさい帯血とはここで別れ。それが現実。
とてつもない空気に包まれて、何度もなんでや?と自分に問いかけた。先生は拒絶の心配はまずないだろうって言ってたのに。。。
さい帯血移植において1割の可能性で拒絶されることがある、、、移植は失敗した。
もの凄く悲しかった。でも悲しんでいるヒマがあるほど事態は楽じゃなかった。。。
白血球の数は50、これからあがってくる望みもない。酷くなる一方の膀胱炎、特効薬がないので治すには白血球を増やして自力で治すのみ。ずっと続く高熱。そして、いつほかの感染症を起こすかわからない深刻で危険な状況だった。
前にすすむしかない!立ち止まって待っているものなんて何もなかった。
自分が生きている以上絶対にあきらめられへん!
もう一度、
再移植!やってみせるしかなかった。
また、前に進みはじめた。
‐8‐
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