オーストラリア、オランダ、カナダ
オーストラリア
ジェフ・ウィリアムス
(03年〜 阪神) 225試合 防御率2.18 9勝 10敗 42S
タイトルなし
オーストラリア出身
大リーグ成績
防御率7.49 4勝 1敗
タイガース抑え投手陣のJFKの一角を担うセットアッパー。
サイドスロー・スリークウォーターから繰り出される投球は左打者の背中からボールが来る極度なクロスな投球は普通の左打者ではまず打てない。一方、右打者にとっても内角をえぐり込むように外から来るボールは非常に打ちづらい。
03年阪神に入団1年目から防御率1.54、25Sを記録し守護神として大活躍。チームのリーグ優勝に大きく貢献した。
2年目は打者からも研究されてきてシーズンでの成績はそこそこだったが、アテネ五輪でオーストラリア代表に選ばれると準決勝で長嶋ジャパンに立ちはだかりオーストラリア代表の銀メダルに大きく貢献した。五輪後のシーズン中、阪神ファンから「オリンピックであんなに活躍したのに...」となんとも言えない愚痴がこぼれた。
05年の活躍は申し分なかった。藤川球児と久保田智之の3人で阪神鉄壁の抑え陣JFK(ジェフ・藤川・久保田)を築き上げ、チームも2年ぶりのリーグ優勝を果たした。このJFKが絶対的な看板投手陣となり、05年阪神が6回までにリードしている試合は、実に72勝3敗2分 勝率.935という驚異的な勝率を残した。でも日本シリーズではたったの10球しか投げられなかった。
06年は左ひざ半月板の手術のため開幕には出遅れるが、5月にはチームに合流し後半戦の阪神の怒涛の巻き返しに貢献した。シーズン後半には150キロ台の速球が投げられるようになり今なお進化し続けている。JFK
JFKとSHE
05年ブレイクしたJFKとはジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3人。当初は抑え投手陣の酷使に対して岡田彰布監督に批難が呼んだがが、この3人は故障もなくシーズンを通して一気に走り抜けた。シーズン登板数日本記録80登板を果たした藤川に次ぎ75登板を記録、2人そろっての70登板以上は史上初である。
上記した成績のとおりに7回以降の絶対的な信頼がリーグ優勝の大きな要因となった。この3人は球場外でも仲が良く、オフのトレーニングも一緒にやろうと呼びかける仲である。ちなみにリーダーはウィリアムスらしい。
この3人の影でSHEと称される3人の存在も阪神の中継ぎ陣を支えた。SHEとは桟原将司、橋本健太郎、江草仁貴の3人である。この年の阪神投手陣は他球団も羨むほどの層の厚みがあった。
オランダ
ヘンスリー・ミューレン
(94年 ロッテ 95〜96年 ヤクルト) 330試合 .246 77HR 216打点
三振王2回
オランダ出身
三振かホームランかの一発屋。日本球界初のオランダ人助っ人。
来日1年目のロッテでは23HRとまずまずの成績だったが、三振の多さと同僚外国人との確執により95年ヤクルトへ移籍。
オマリーが4番を打っていたので下位の打順を任されていたがその姿はまさに恐怖の8番バッター。さらにサードの守備も恐怖になるくらいのエラーの多さ。性格はとても明るくムードメーカー、メガホンを頭にかぶる姿も見せた。
96年乱闘事件を起こしてオフに解雇。00年のシドニー五輪ではオランダ代表として出場し、強豪キューバを破る逆転タイムリーを放った。
カナダ
ナイジェル・ウィルソン
(97〜01年 日本ハム 02年 近鉄) 427試合 .268 113HR 323打点
本塁打王2回、打点王1回、ベストナイン2回
4打席連続本塁打
カナダ共和国・オンタリオ州出身
守備は守れないがバットを持たせると持ち前の怪力でホームランか三振という典型的なDH専門外国人。
メジャーを少し経験してから97年日本ハムに入団。監督の「お前はどこを守れる」の質問に、「オレはDHだ!」と答えたという。
1年目から一試合4打席連続本塁打を記録するなど37HRを放ち本塁打王に輝く。2年目も33HR、124打点の本塁打と打点で2冠王。ただ三振も2年連続130を越えた。
3年目はケガで一年を棒に振り、打てるが守れなくて故障が相次いだ。
それでも4年目の00年に37HRの活躍で見事復活!チームの小笠原道大とオバンドーらで打ちまくり『ビッグバン打線』の中核を担った。
しかし、01年もケガで2軍生活が続きシーズン途中にそのまま解雇される。
丸みのある体格と表情から「プーさん」と親しまれた。
| 広告 | 花 | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |